No.11 「留 学」

  昨日スペインから手紙が届いた。今年から留学しているチヅコからだ。
ちょっと前に国際電話があって新しいピソ(マンション)を借りるために
証明が必要ということで、FAX 打ってくれというSOSのあとは梨のつぶてで
(だいたいぶっきらぼうな性格でこっちも慣れてるつもりだったが、
直接顔を見れないだけに)、うまくいったのかなあと心配しているところだった。
手紙によれば少しはベースが出来つつあるらしく、
わずかながら生活を楽しむ余裕が出てきているような文面でひと安心。
食い物、レッスン、コンサート、街の様子etc.の話題のほかに
「拍子の意味がわかりだした」と書いてあって、
僕としてはそれだけでも彼女は行ってよかったと思った。

日本で先生について勉強する内容と、ヨーロッパの 先生について教わることは
基本的には同じである。ヘボはどこにいてもヘボ。
ヨーロッパに行けば何でもよいというわけでは当然ない。
それでも職業にしようという子たちにヨーロッパ行きを勧めるのは、
空気のちがいを直接感じてもらいたいからだ。
芸術は生活という土地から咲く華なのだ。その土地で生活してみないとわからない
センス、リズムなどがあり、それに触れるのは悪いことではない。

拍子のことも、リズムのことも(よけいなことだけどこれは明らかに別のものだ)
言っていたつもりだったけれど、あらためて「拍子の意味がわかりだした」と書かれると
自分のティーチング・テクニックを反省させられて苦笑してしまうのだが、
そういえば僕もそんなことをちゃんと教えてもらったのはギリア先生からだったなあ、
と懐かしく思い出している。 環境が音楽の理解を助けてくれるというのは
実際たくさんあるのだ。チヅコはまだ20代前半。まだまだ変化できる年齢。
 また手紙を書こう。僕が書く内容はきまっている 。
「あそんでおいで」これだけ。

 
No.12 「わ ざ」


ずっと以前から研究していたアレクサンダー・テクニークという身体(心身)の
使い方にかんする新刊の本を最近読んで、
技術の側面 でどうしても前のやり方を変えなくてはならなくなってきた。
他人から見ると一貫性に欠けているだろうし、
レッスンにおいてもそんな局面 がでてきて、
古い生徒のみんなにはちょっと(たくさん?)迷惑をかけている。

ギターを学びだしてから、これまで20年以上続けてやっていたことが崩れて
(良い意味でだが)、すこしずつ新しい方法がなじんできて、
それこそ若いときの技よりは今のほうが動きはなめらかだと実感できるように
なってきた。じっさい学生のときは「ただ練習だ!」というような大雑把な世界で、
内容について検証などしてなかったし、セゴビアやブリームのような大家がこうやって
弾いているから正しいのだ、と疑問も感じずに(きっと先生もそうだったろう)練習に
明け暮れていた。一生懸命やってはいたが、たいしてうまくなったように
思えなかったのも、この時期ではあった。
なにしろ一番基本になるところが間違っていたのだからうまくなるはずがない。
 
正しい技(術)というのは、それをやれば本人がどう思おうと結果をだせるやり方を
いうのではないか、と思ってきた。西洋では進んでいるような面もあるけれど、
そういうアイディアの体系がなくて、誰かに教えられなくても自ら気づくことのできる
天才たちだけがギターをうまく扱っていたと言ってよい。
良い技術というのは、楽器の扱いにたけることを言うのではない。
身体の扱いに長けていることをこそいうのだと確信している。
そこを間違えずに、注意深く練習をかさねていけば、
今までのやり方を無批判に盲目的に繰り返すという愚をおかすこともないだろうし、
ひょっとするともっともっと面白いやり方だって出てくるかもしれない。 
 

No.13 「スタートライン」

引退したらギター始めようと思うんです。と言う人がけっこういる。
いよいよ悠々自適の生活に入り、自由な時間を好きなギターにさけるというわけだ。
最高だと思う。恵まれているとも思う。でもちょっとした注意は必要だ。
仕事をリタイアする時期というのが肉体的にも脳力的にもけっこう衰えを
みせはじめているという現実があるからだ。
リタイアしてから始める人の共通にみられる特徴はやる気と結果のギャップが
大きいということだ。精神は歳をとらないから、気持ちは先行するけれど
(これまで時期を待っていたのだから余計にそうなるのは判りすぎるほどよくわかる)、
肉体は確実に歳をとってきていて思うようには動かないのだ。
事情が許すかぎり早く始めた方がよいというのは本当だと思う。

歳をとってキャリアがいろいろあるということは、
たくさんうまくいった事の想い出もあるということで、
とくにものごとを強引にやってうまくいった経験のある人は、
自分の身体も強引にねじ伏せてしまえば何とかなると思っている傾向にある。
精神が肉体を100%コントロールできる(どちらが主体でもないというのが
本当なのだが)という思い込みである。

キャリア組にまず必要なのが、ギターにはこの手が使えないということの自覚だ。
このねじ伏せは上達を確実にいちじるしく阻害する、
と同時に理想と現実のギャップを拡げて、
せっかくの志を打ち砕いてしまうことにもなりかねないのだ。
何度もくりかえすが上達がみえない面 白くない練習は先がない。
新しいこと(ギター)を始めるのだったら、方法も、考え方さえも新しくする
チャンスだというぐらいのつもりでやってみてはどうだろう。
さきに言った自覚と、良い先生のアドバイズがあれば、
その人らしいギターライフがかならず開けてくるはずだ。
それは今 までになかった充実の世界だと思う。


 
No.14 「トレーニングとメンテナンス」

身体が健康で若さにあふれていて問題のないときだったら、
練習だけすることができる。メンテナンスの必要は感じない。
ところが年齢をかさねてきたり、あるいは何かの事故などで身体が故障したりすると
そうもいかなくなるのが普通 だ。ゴリ押しがきかなくなる。
  
身体がその方法じゃダメだというメッセージを発してくるわけだ。
そのあたりからメンテナンスとトレーニングが一緒になってギターの楽しみが増す
(と僕は思う)。頭と身体の調和がとれてくるといったらよいだろうか。
調子のいいときは、ギターを弾くときにいくら自分自身に「身体の力を抜こうね」と
言い聞かせながらやっていても、その注意はなかなか完全にできるものではない。
問題が起こってこそ、無理、無駄 な運動を徹底して整理していける。
理解が頭からからだに行きわたると言うかんじだろうか。
弾きづらいとか、疲労、痛み、とかいう感覚を頼りに、それを少しでも減少させて
いくようなトレーニングをていねいに行なうということは、そのプロセスに今までにない
新しい感覚の世界の発見があり、何といっても実力をあげていくことに
ダイレクトにつながる。手間も暇もかかる作業なのだが、無駄な動きがオミットされて
その時そのときの合理化ができていく過程は味わい深いものなのだ。

そしてもう一つの要が、トレーニングの合間や終わったあとに
(もちろん始める前にもよろしい)行うストレッチを中心にしたちょっとしたメンテナンスだ。
身体のねじれや緊張をとってやることによって疲れがかたよらず、
筋肉がリフレッシュされて、次のトレーニングにつながるというわけ。
方法は各人で探すしかない。僕は個人的には太極拳があっているらしく続いている
けれど、何事も万人向けと言えるようなものはないと思うので、
試していくと良いだろう。そこにもまた面 白い世界が開けてくるかもしれませんよ。
 
 

No.15 「コンサート以前」

  人前で弾くのはエキサイティングな行為でわくわくする楽しさはあるが、
同時に緊張も高まるのが普通だ。
ここでは、余計なテンションをすこしでも減らせる工夫を書き出してみようと思う。
僕自身が毎回気をつけていることで、ヒントになるかもしれない。
ほんとうはプログラムを決めるところぐらいから始めれば
よいのだろうけれど今回は省略。

1.いちばん大事なのは何といっても健康であること。
一月前ぐらいからは特に注意だ。 風邪をひかないように、
爪も割らないように気をつけて過ごす。
  
2.前一週間ぐらいはのんびり過ごせるように、日常生活を整理していく。
仕事もなるべくその時期に面 倒なことをやらなくて済むように手配しておく。
心が騒ぐようなトラブルに巻き込まれないようにも注意? しておいた方がいい。
  
3.携帯品リストを作っておく。
僕は数年前につくってそのままずっと使っているがけっこう役立つ。
リストを見ながら荷物をチェックしていけるので余計な気をつかわずに済む。

4.当日はなるべく無駄口をきかない。
お喋りに興じたあとは精神は安定するまで時間がかかるので
静かに過ごしたほうがいい。

5.食事は少なくとも2時間前には済ませておく。
食べ過ぎもだめ。それと直前にはコーヒーなどの刺激物もとらないほうがいい。
  
6.時間の余裕を持って会場へ。
当たり前のことのようだけど、以上のようなことを注意して過ごせば以前にまして
だいぶ演奏に集中できるシチュエーションが作れると思う。
そして最後の演奏の瞬間に自分で評価をくださず
没頭することができれば大成功ですよ。

 
 No.16 「りきむ」

自分の練習でも、レッスンにおいても一番興味深くて注意が向いていることは、
無駄 な力をいかに排除していくかということだ。
このテーマはその時々いろんなアプローチができて楽しい。

無駄な力がはいればテクニックがおぼつかなくなるのはもちろんのこと、
記憶力の低下、精神的にもパニックに陥りやすかったりと良い事はない。
初めてギターに触れる人の中には、見ていて身体が壊れるんじゃないかと
心配になるような人もいる。そうはいっても本人は真剣だし、それがまた困るのだが、
(身体は)他に方法を知らないので、理屈では脱力が大事だと判るのだけれど、
簡単には力は抜けてくれないのもたしかである。
力の入る人はみんな真面目で努力家である。
そしていろいろな事に努力を積みかさねてきて、ある程度の成果 を得ているという
共通点がある。その真面目さがわざわいしているのだ。
身体は「努力する」ということばを「力む」とことば一語に翻訳してし まっていて、
何をするにもこのパタンがでてくるのだ。 しかし本来身体をうまく使うということと
力むということとは別ものである。野生の動物が力んでいるというのは聞いたことも
ないし、もし力んで瞬発力の低下などが生じたりすれば、
獲物は捕らえられず(逃げられず)、種の保存さえ危うくなる。
人間だけが「りきむ」というのは面白いと思いません?
  
「真面目さがわざわいして」というところから切り込もう。
力んでいるときの頭のなかを見てみるとわかるがそのときは
「何をすべきか」を考えているのだ。いってみれば心ここにあらずという状態。
これを「何をしたいのか」にかえよう。するととたんに気がゆるまる。
あれ! こんなにギンギンしてなくてもいいんじゃないか、と「今」に戻ってこれる。
 まず肩がリラックスして、ついで全身の筋肉の状態もかわってくることうけあい。
試してみてください。
 

No.17 「自分の歌を探す」

音楽とのつきあいもそろそろ30年になろうとしている。
ちゃんと学びだしてからがその時間だから、ただ遊んでいた時間も入れればすごい
時間を音楽と過ごしていると言える。趣味も音楽みたいなものだから
(こういうとけっこう非難されたりするけどね!)
ほとんどの時間を音楽と過ごしているのは間違いない。
その間にずいぶんたくさんの先生に教えを受けた。

数えあげれば(一度きりのレッスンの先生も入れて)内外あわせて
20人近い先生に世話になったことになる。
どの先生からも影響を受けた。よかったり悪かったりその内容は様々で、
大先生からの影響が、かならずしも、全面的に良かったわけではないというのは
感慨深い。それはともかく、事実はすべての先生の教えの上に
今の僕が成り立っているということだ。ありがたいことではある。
何人かの先生は他界されてしまった。それはそうだ、
気付いてみれば僕自身が教えを受けた頃の先生方の年齢になっているのだから。
今は実際にレッスンを受けることは殆どなくなってしまったけれど、
ふと気付くと「ああこれがあの先生の言いたかったことなんだ」などと
ふかく納得することがあったりする。
それこそ20年越しの宿題が解けたような気になって 喜んでいるのは根がのんきなせいだろうとは思う。

さいきん音楽するのにもっとも頼りになると思うのは自分の歌だ。
歌をメインにしていればまず間違いないとさえ思っている。
お世話になった数々の先達はこの「自分の歌」をさがす知恵を授けてくれたのでは
ないだろうか、とかってに解釈している。音楽の基礎知識、楽器のあつかい方、
エピソード、歴史の話など、みなそれは(自分の歌)を探すための道具では
なかったのかと思ってみたりする。そんなことを思いながら、僕は
今日も近所迷惑かえり見ず、声を張り上げ練習・レッスンをやっている。

   
No.18 「表 情」

音楽をやっていると、表情豊かな演奏ですねえ、とかいうことがある。
ついにこのコーナーも深い表現についての高尚な話になるのかな、と思いきや、
ここでは単に「顔」の表情について書こうとおもう。

何のことかいな?と思う方は多いだろうし、うさん臭く思う人も中にはいるかも
知れないとは思うけれど、一度注意を向けてみるのは将来のギターライフの充実の
ために (まあ、それほど大袈裟にいうことではないかも知れないけど)損ではない。
見るのはもちろん自分の顔である。ためしに鏡をまえにして、
ギターを弾きながらちらっと自分の顔を観てみよう。
どんな表情をしているのか注意深く観察するのだ。
必ずなんらかの癖(思ってもいなかった癖であればあるほどご利益がある)が
見つかる。よく見かけるのは、顎の力が入る。眉間にしわがよる。
口が「へ」の字に曲がる。など外見からもわかる「表情」。
もう少し、注意を内側に向けていくと、今度は眼球がかたくなって、
視線がきつくなっていたり、耳が後ろに引っ張られていたり、舌が上あごにひっつ
いていて不自由な状態になっていて、どういう感情の表現かよくわからない
「表情」になっているというのもよくある。じっさいこれらの癖による筋肉の緊張は
「ギターを弾くために」なんら役に立たないという理由で、100%無駄である。
という理解のもと、当然次にやるべきことは、無表情になる練習である。

いわゆるポーカーフェイスの練習である。
だまされたつもりで(だますつもりはないけれど)しばらく、注意を顔に向けたまま
練習を続けてみるとよい。数分、あるいは数日で顔以外の部分で弛んでくる部分が
見つかってくるはずだ。それがわかれば、新たなヒントがうまれて、
違うレベルでの練習が見えてくるのだ。
野放しになっていた身体のパーツのコントロールの一方法である。お試しあれ。
 

No.19 「目からうろこをはがすもの」

なんとか、もう少し上達したい。それは、音をはじめ、ギターにかんすることへの
気付きから始まるといっても過言ではないと思う。
とは言え自分で気付こうと思ってみたところでなかなか難しい。

こんなことがあった。もう20年も前のことだけれど、住んでいたマドリッドで、
画家の友人とプラド美術館にいったことがある。
住まいが美術館とは目と鼻のところだったので、
それ以前にも何度も足を運んだことがあり、何がどこにあるかぐらいは頭に入って
いたつもりだった。ベラスケスの名作「官女たち(ラス・メニナス)」も好きな絵で、
何度も観ていたはずだった。
絵の前で友人は言った「王女の手のところを見るとね、筆でシュッシュって
描いてあるだけでしょ。指一本一本なんて全然描いてないわけ」「でも、
ちょっと離れて見るといかにも完璧に指があるかのようにみえるんだ」

今でもこの時の感激は忘れない。いかに自分がぼんやりとしかものを見てなかった
ということを思い知らされた瞬間だった。目からウロコというのはこのことだと感じた。
それ以来、絵を見る態度が全然かわったのは言うまでもない。
僕たちは何ごとにつけ、知ったような顔をして暮らしているのではないだろうか? 
別にそれは故意ではないし、ほとんどのことに支障はないんだけれど、
そうなってしまうと追求は終わってしまうのは事実だ。
音楽にたいしても同じようなことが言える。ギターを弾くためには、技術的な問題を
解決しなくてはならない時期が必ずあって(とくに新曲を始めた時など)、
実際の音というのを聴かず(いや、聴けずに)、しばらく時間が流れる。
そのまま進むと落とし物(中身は人によって変わるが)をしたまま、
いってしまうことも多々あるのだ。ちょっと他人を頼ってもいいかなというお話。
 
No.20 「Allegro Moderato」

アレグロ・モデラート。楽譜の最初にひっついている、
俗にいう速度記号といわれるものだ。これがどうも僕はいつもひっかかるのだ。
何がひっかかるかというとその日本語訳である。

今てもとにある、現在使われている中学の教科書を見ると、Allegroは「速く」。
Moderatoは「中ぐらいの速さで」、となっている。
ということはタイトルにあるこの『速度記号』は「速く、中ぐらいの速さで」???
演奏しろということになる。これじゃ、日本語になってないじゃないか!!
ちなみに30数年前に僕自身が使った高校の教科書を調べてみたら、
同じ訳がのっていた。つまりこの訳には(少なくとも)30年間クレームが
付かなかったということだ。 やれやれ。

それはともかく、せっかくの音楽の内容を誤解しかねないこの迷訳は何とかしたい
のだ。どうするか。面倒でも辞書をひくことである。
間違っても音楽辞典をひいてはいけない。また迷訳が出てくるからだ。
だいたいこれらの「速度記号」(じゃないんだが)はイタリア語で書かれている場合が
多いので、イタリア語辞書をひいてみよう。Allegroは「愉快な」と、しょっぱなにある。
いいねえ!「陽気な」「はつらつとした」。ますますよろしい。
で、Modetatoのほうをひいてみると、「節制のある」とか「適度の」とある。
大分日本語らしくなってきたんじゃない?これらを適当にくみあわせると
(パズルみたいですね)Allegro Moderatoから「陽気に、でもはしゃぎすぎないで」
ぐらいの訳がでてくるんじゃないだろうか?
これだと、曲の雰囲気が判る。どうですか、納得がいってきたでしょう。
ではためしにフォーレのパバーヌに付いている「キャラクタ記号」(と僕は言いたい)
Andante molto moderatoを今までの訳と、新しいアプローチの訳でくらべて下さい。
ヒント。Andanteの訳語は、「飾らない」「単純な」「気取らない」etc。

 

  バックナンバー <1〜10>  <11〜20>  <21〜30>  <31〜40>  <41〜50>  <51〜60>  <61〜67>   

  大谷 環/作・編曲、テキストは こちら   CD、録音作品は こちらへ どうぞ